186Dで高松へ戻ったあと、寝床を確保していなかった私は、そのままの足で高松港へ向かいました。
当時はまだ宇高国道フェリーが深夜便を就航させていたので、片道60分ずつの航行時間を使って仮眠しようと企んでいたからです。
まさか、この数年後にこの航路どころかこの会社自体もなくなってしまうだなんて思いもしませんでしたが。
色んな意味でもはや幻の行程となってしまった四国旅行でした。
港から戻ってきたところに、ちょうどキハの音が。
列車は高松方からキハ40-2147+キハ58-293+キハ65-34という編成。
そう、前日の186Dの編成にキハ40がくっついたものでした。
なので、録音はキハ65側で行いました。
(今思えば、もう一泊してキハ58側でも録音しておけばよかったなと)
レコーダーをエンジン真上席にセットすると、高松を出た直後くらいで寝落ちしてしまった私。
次に目を覚ましたのは、引田に着いて車掌氏に起こされたときでした。
優しく起こしていただいて有りがたいとともにお手数をおかけしてしまって申し訳なかったです。
若干会話を拾っているようですが、全然気にならない範疇だと思いますので、そのまま残してあります。
在りし日のキハ65の様子を是非お楽しみいただければと思います。
(この列車のキハ58側で四国三郎様が録音なさっていたと記憶しています。当時はまだ知り合う前。ここが全てのきっかけでした)